その後ナイチンゲールは、クリミアでの活動が評価され、ナイチンゲール基金が集まり、 「看護の覚え書」とクリミアでの経験を元に看護学校を1860年に設立しました。 看護学校教育の基礎を構築し、看護の教育を始めました。 看護を宗教から切り離して、専門職として独立させたのは歴史上画期的なことでした。 ナイチンゲールはこの他にも助産婦学校を創設、病院の改革など衛生看護にも努めました。 病院に至っては、ナイチンゲールが自ら建築に関わり、「病院は患者に害を与えてはならない」との事から、 ナイチンゲール自身が考案の病棟の設計もしていました。 歴史的に、病院や看護の事にこだわった人物はいません。 ナイチンゲールは看護師として活動していた期間はごく少なく、 クリミア戦争での看護時に体調を崩して帰国してからの36歳以降は、 看護師としてユニフォームを着て医療の現場に立つことはありませんでした。 それからは150点以上に及ぶ著作を書き記し、1万2000点もの手紙を書き残したそうです。 その中にはジャンルはとても多く、 病院・建築・統計学・社会学・福祉・宗教に関する文献から看護の基礎から看護を監督する立場、 つまり婦長や総婦長の立場が必要な事、看護管理、など看護に関するものだけでも数知れずです。 これらの書物は歴史上にも受け継ぐ素晴らしい書物です。